政治の新しい仕組みの提案のために
- makiyama@allgovern.com
- 1月25日
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更新日:3月17日
はじめに
(1)現在の政治に対する私たちの戸惑いと将来への展望
私たちは、平和を願い、穏やかな環境において自分や自分にとって大切な人々との幸福な生活を実現していける社会を願うもの。そのような社会を築くために集団だからこそできる力を方向づけ、国民の利益となるべく主導する役割を担うのが、政治と期待されます。
特に、昭和の歴史やロシアのウクライナへの軍事侵攻、イスラエルのガザでの軍事作戦にみるまでもなく、政府がどのような決断をするのかの結果が、国民を翻弄し生死の危機に直面させ、国家を存亡の危機に立たせることがあるのだということをも覚悟しなければなりません。
主権に基づき政治が行う意思決定。共同体の領土や資源を管理し、そこに属する構成員間あるいは構成員と共同体との利害を調整して社会全体の調和や幸福の実現を統合的に行う政治の力は、多くの可能性を抱くと同時に、一旦、悪い方向に動き出すと、その力は国民の一人ひとりが逃れることができないものとして、自由や権利を奪うものともなります。
「袴田冤罪事件」にみるように、社会の有する「仕組み」が、国民各々の幸不幸に関わるが故に、国民一人一人に与えられた主権の意味は途方もなく大きい、すなわち、従う者であると同時に「自らが決定者である」ということが、現代政治に期待される仕組みの最も重要な根幹であるといえます。
さて、個々の市民が国民主権や民主主義のことは重々理解していても、現代の政治が、期待や理想に着実に近づいたといえるのでしょうか。省みて人類がその文明の発展の中で長らく努力を積み重ね苦難を越えて現代の政治という仕組みを作るに至り、今では「やり様によって」幸福を願う人々に対してその願いを実現するために貢献することができる仕組みを大筋で獲得しているといえる一方で、その役割を確実に果たすべく機能しているのかという点において、現代の日本の政治にその理想の姿の一面をみることが難しいというのが正直なところでしょう。
私たちから見た現在の日本の政治構造の状況は、民主主義的な手続きを有する国家の範疇に入り、それ以外の実質的な独裁を容認する(政府が恐怖・搾取・拘束など抑圧や虐殺・理不尽な処刑の手段を用いる)国家よりも、より良い政治形態を有しているのであり、また、わが国と同じような国同士(民主主義的国家同士)である方が、同じ人類の仲間としてより安心して国家間の交流を図ることが可能と感じます(個々人の交流の次元は別としても)。そのように、私たちは日本が民主主義的な政治の国家であることに安心感を抱きます。
しかしながら、その中味を見れば、民主主義を標榜しているにも拘わらず私たちの国においても、2022年9月の「国葬」の国民の考えを無視した「強行」は、この国における政治家・政治担当者の国民主権に対する信念の貧弱さに強い不安を抱く契機となったことは間違いありません。それ以降の内閣支持率の低下の始まりが示しているとおりです。
いわば、国葬は国民のものです。国民がそう望み行うための仕組みです。手続きを踏めば正当に行えるから行うのだ、というだけでは、政治における合理性・倫理性・国民の幸福追求性のいずれも担保されないのです。仕組みがあるからより良くなるのではなく、より良くするための仕組みは道具です。包丁は素晴らしい料理を生み出すのにも人を傷害するのにも使えます。道具はどのような信念において使われるかが重要であり、国民共有の信念は憲法に表現され、私たちの中に息づくものです。そして最も重要なことが基本的人権の尊重や国民主権であると考えられるのです。身勝手な政治によって内閣の支持率は様々な調査で1年近くも20%台のままに存続され、その後の衆議院議員選挙において政権与党の過半数割れの状態に至ったという状況は周知のとおりです。
日本国民は、一見、政治に無関心があるように見えて(国政選挙での投票率は50%台)、教育はいきわたり、社会・公共に対して見識を有する人々からなる国家であるといえます。しかしながら、これまで、国民主権・民主主義といいつつ、国家の宰相からしてそうであるように、内実は弱弱しい政治信念、さらに次元の低い金にまつわる罪にまでまみれた国会議員の逮捕・起訴を生じている状況、そのような政治界隈の風土や政治家を容認してきたことと国民主権・民主主義の脆弱さとは無縁ではないと思われます。組織的な様態の中にある不祥事は、政治家が、志しある有能な人材が目指す職業となりにくい、そのような職業に見せてしまうとうい大きな損失も生む背景になっていると思われます。
残念ながら国民に対する誠実な思いを失ったこのような政治家像こそが定着した大方の政治家像になってしまったかのようにさえ思えます。また、国民自身、自らが意思決定をしていくのだ、という主体者意識、あるいは公共的意識(公共の構成員・公共を支える者・主体者であるという意識)が表現されていない傾向にあるようにも感じます。思っていてもそれを伝えていないし、行動してもいないのではないか、ということです。
別の視点では、この日本においてはかつて軍人によるクーデターやクーデター未遂の歴史や軍部の不当な政治支配の歴史があります。その歴史的背景を考えれば、信頼を失った脆弱な政治は、テロリズムや武力支配・クーデターなどの温床ともなる危険があるといえます。信頼できない政治指導者たちの指図に従って命がけで守らなければならない国家像は描けるはずもありません。そうなれば軍備の拡張や国防どころではありません。5・15事件など当時の反乱の首謀者たちを突き動かしていたものが彼らなりの政治の変革あるいは彼ら流の「正義」でもあり、信頼を失った政権の政治運営は、現代においてもそうした暴力的な考えを誘発する可能性を懸念させ、一層、わが国の将来に対して「善と悪とが峻別されない」すなわち、「正義」の所在が喪失される不安を掻き立てます。信頼なき政府が人の生命のかかった国防を主導できるはずもないのです。
国防・国家の安全を語る時に、政治・民主主義・自由や平等などへの強い信念や信頼を語るのではなく、また、いかに戦争をなくして平和を保つかの議論無く軍備のことしか語らない政治家ほど信用ならない、そう思えるのも当然のことと思われます。
ところで、「良い政治」を期待することは、国民主権国家において同時に主権者たる私たち自身も、常に共同体、社会・国家を意識し、それへの責務や貢献を果たすこと、共同体の利益への意識が必要と思われます。普段は職業としてそれを担う者(政治家や官僚)に委ねておきたいとしても、何か自分や国家が課題に直面したり、政治に不満を持ったりした時に、それを解決に向かわせることができる・変えていけることには重要な意味があります。つまり国民一人ひとりに意思決定に関わる道筋がある、政治への要望や意思があるときに、自分の意思・意見に耳を傾けてもらえること、その声が、意思決定のどこかのプロセスに届き、評価され必要に応じて適切に検討の場に上がり政治に反映され得る仕組みを持つことの重要性が痛感されます。それは、具体的な政策の一つひとつ、仔細に及ぶことであり、選挙において、議員を選ぶのとは実質的影響の強さが異なるものであるといえます。なぜなら、議員は個々の国民の操り人形ではなく、関心の強弱も熱意も異なるはずだからです。
政治・政策においては望まれる幸福追求性に加えて合理性、倫理性が必要となります。合理的であると同時に倫理的、つまり、理に適い道徳性に照らした正しさが問われます。これは属人的な(理屈に従ってではなく「人」に依存した意思決定による)過ちを回避した民主的な手続きの中にあっても、単なる多数決ではなく、少数派への不合理なルールを許さない防壁ともなることが政治の理念に求められます。合理性は可能な限り広く多くの情報が集められ、それが共有・活用されることを基本にして成り立つと考えられます。また、倫理性は様々な立場への個別的な対応の余地の重要性を意味するでしょう。
こうしたことから、まずは「合理性・倫理性・幸福追求性」、端的には民主的な手続きの中でこれら3要素を備えた政策が実現できる仕組みを具体的に構想できれば良いと考えられます。こうした目的を有する仕組みはさまざまな政治的な課題を解決していくときの基盤、プラットホームとなる仕組みであり、その仕組みを使って、個々の課題が解決されていくことを可能にする枠組みなのです。
<休憩>

桜の季節の牛久シャトー(茨城県牛久市、文末に解説あり)
(2)国民主権、市民力の組織化
現代社会は多様で複雑であり、とりわけ科学技術の進歩に伴い新たな社会の局面が創造され、そのことは新たな社会的課題や法制度の整備や規則の改訂を要求します。例えば、スマートフォン・パーソナルコンピューターの普及とインターネットの技術的な発展、ソーシャルネットワークのあり方、さらに、人工知能AIやドローン技術など、それらの発展・拡大の結果、社会制度の整備・発展はその要求に応える形で不可避的に政策すなわち政治による人権や社会の安全を守るためのルールの策定などの対応が必要とされることになります。このような課題は50年前には存在していませんでした。そのように社会、そして国家の政治の仕組みは、こうしたダイナミックな変化についていかなければなりません。つまり現代社会の国家的課題の解決を図っていくためには、常に新しさに対応していく力・革新を実現していく政治の仕組みを必要としているのです。
地球規模の気候変動への対策や、これからも生じ続ける震災など自然災害への備え、さらには、食料自給や雇用・給与・経済の課題など、課題は尽きません。国政のガバナンスにおいては、こうした課題に取り組んでいくためにまずは、それらに対する政策を策定に際して、問題意識や合理的な判断のために必要な事実など主権者たる国民が意思決定の根拠を共有する仕組み、そして関心ある国民が政策の策定に参画する仕組みが必須であると考えます。
国会での立法やその公正さに関係する代議員を選ぶ選挙の仕組みについては、別に検討が必要な課題ですが、ここで主眼として論じるのは、選挙以外の場面において、法に基づいて行う制度として、市民が参加する政治制度についてです。参画によって、より良い課題の解決、あるいは合理的に倫理的に国民の幸福を追求するような施策の実現を図ることができるよう構築すべき政治制度の構造についてです。
そのような機構は、関心ある課題に対して市民個人がより直接的な関わりをもつこと、その能力の提供の機会を持つことができ、関心ある、あるいは自分なりの相応の意見をもつときに、その課題の、いわば政治・政策の策定舞台に登壇(参画)したり、あるいは意見を発したりすることを容易にして、そうした関わりが、政策の質や実効性を現状より向上させ得ると期待されることを意味します。1947年の日本国憲法施行以来、これまでにも選挙は行われてきましたが、それだけでは国民の期待する政治は実現されていないことはこれまでの見て来たとおりです。そうであるがゆえに希求する、今後のさらにより堅固で発展的な国民主権と民主主義との意義を強化するより良い仕組みとして、本文で示すような国民が参画するための仕組みが選挙改革と併行して必要なのだと考えられるのです。
ここでは、先にも触れたとおり、例えば政治が思わぬ方向、間違ったと思える方向に向かい始めたと感じたとき、ただ指を咥えて看過するしかないと諦めたり、国家の行く末を憂いながら見守っているだけではなく、一市民自らが、積極的に軌道修正に関わることに貢献し得る、すなわち「個々人がどう関われば良いかの道筋が見える制度・仕組み」を提示するものです。
立法は国会に委ねられます。法案は内閣あるいは国会議員から提出され、例えば令和6年度の第213回(常会:1月26日~6月23日)では、内閣から62件の法案が提出され、議員からは45件でした。成立に至ったのは内閣61件、議員8件、計69件の法案が成立しています。法案提出を支援する組織として、内閣には中央官庁・官僚機構があり、議員には国会図書館の立法考査局や秘書などがあります(国会議員秘書は公費で3名、ほか私設秘書)。
多くの法案が国会で審議され成立している一方で、国民はそれら法案の個々の意義・意味を知るのはマスコミなどで繰り返し報道されている課題のいくつかに留まるものと思われます。そうした意思決定の場にどのような政策が提案されているのか、それら法案がどのようなことを目的にどのような選択肢の中からどのような根拠によって決定されてのかが重要ですが、現状では、インターネットによって画期的にアクセス可能性が広がったものの、とはいえ、かなり積極的な意欲をもって探求していかなければ、事項を整理して理解することは困難でしょう。特に、一部を改訂する法案となると、かなりの手間をかける必要を生じます。
先のとおり意思決定には合理性・倫理性・幸福追求性などの基軸があります。それらの基軸に即した決定がなされるためには、提案された政策の選択肢とその検討・選択の過程が、実行されるべきものであるか否かが、可視的な状態でなければなりません。そして、国会の意思決定の透明性の重要性からすれば、どのような事実を集めて、何を根拠に結論したかが見える形に調えられていなければなりません。つまり一市民・国民の視点から考え、判断できる形で示される、広報されることが必要です。法案は、話題性のある、マスコミで報じられるものだけを注視していては、「知らぬ間に決められていた」様々な事項に後々、驚かされることにならないとも限らないのです。
このとおり実際に市民が参画する民主主義の実現においては、情報の共有が重要であり、適切な情報の提示があって初めて合理的な判断が導かれるものであるといえます。逆に言えば事実の集積があるならば自から取るべき選択が自ずと見えてくることもあると考えられます。そのような情報の責任ある提供者は誰が可能であるのか、役所・官庁や、マスコミ、あるいは、政策課題に関わる組織や学問領域等が、その発信者となるといえますが、当事者・現場、関心ある市民も含めて、発信された/あるいはされてない情報が課題ごとに適切に永続的に収集蓄積されて課題の提供に際して使える状態に整理され、かつ、広報されなければ、その課題の解決策を持続的に検討・発展させることは困難となるでしょう。また、時を経て、同様な掘り返しの作業を繰り返さなければならなくなることも少なからずあろうと、推測されます。
それゆえ、そのような責任ある情報提供者・機関の主翼を、特定の課題に特化した機関が担うようにする、それが本書で想定する姿です。類似の形態としては、これまで審議会等として一定期間のみ(臨時・アドホックな形で)活用されてきた仕組みがあります。これまで、いわば官庁の中で「お抱え的に」あるいは地味なパブリックコメントとして行われてきたそのような仕組みを見直して、事務局自体も永続性、透明性の確保や情報の集積と提供とにより国民の力、市民の力が一層活躍できる機関として発展させることが構想され、その結果、より主権者参加型の機能を高め堅固な形に脱皮・発展させる機関が想定されることになります。そのことで、結局、最終的な審議会案が「報告」の形にとどまり忘れされられてしまう、というような欠点や脆弱性を払拭し、必要な間は、確固として機能し続ける機関として、存在する機関、ここでは命名して「中間的専門機関」について、その姿を論じます。
社会に数多存在する政策課題は、当該の問題に関わる個々人にとっていかに切実な問題であったとしても、それが社会・国家となると、必ずしも最優先に解決が図られる問題になり得るとは限りません。東日本大震災やコロナウイルス感染症の蔓延、あるいは直近の能登半島地震のように、大きな課題に直面するとそれ以外の課題の解決が遅延することもあるでしょうし、国民に厳しい選択・負担を強いる課題は、いかに重要であったとしても政局都合(政治家利益や政党利益都合)で先送りにされるかもしれません。これからも自然災害では首都直下型地震などは明日にでも生じ得るかもしれないのです。そうした状況下でも機能し続ける力と構造とが課題解決には必要です。
このブログでは一つひとつの課題に、その課題に関心をもつ人々・市民・国民が、解決に向けてその力を発揮できるような明確な社会システムが存在すること、いわば国民と政策の策定との橋渡し/踏み石となる仕組みが示され活用されることを目指します。そのことは関心ある人の知恵や知識を政策に取り込める機会を作ることであり、政策をより質的に向上させ、より実効性を与えるものとなるでしょう。
日本はEU(欧州連合)のような組織が形成されていくことで国際的な基準から受ける圧力もなかったといえますし、わが国の政治自体に「政治」という要素において世界一を目指す意識もなかったのでしょう。他方で政府はかつての日米半導体協定にみるように、国家の存亡にかかわる事項において誤った選択をしてきたことも継続性のなさからいつしか置き去りにされ、気づいた時には、今度は国策で、大きな遅れを取り戻すことに躍起にならざるを得ない状況です(ラピダス支援)。不満でも苦しくとも、政策自体を批判する力はあってもそれを政治・政策の修正に生かすための力が国民に不足している、そのように感じることはないでしょうか。しかし、それは国民性・国民の一人ひとりに背負わせて終わらせるような問題ではなく、むしろ、国民性は不変でも参画の仕方を変容させるような仕組みを有しているか否かの問題と捉えなおすことができるかと考えます。政治への関わり方を変える仕組みを得ることで、参画の敷居は低くなり裾野が拡がり結果としてわが国の政治制度が時代に即した最適の政策を時代や世界の情勢に遅れることなく獲得していく基盤を得ることになると考えています。
顧みれば1945年の敗戦を経て、1952年4月28日サンフランシスコ平和条約の発効に至ってから、70年以上の歳月が流れました。米国の占領を終えて私たち日本人に手渡されたわが国の政治は、それからの年月の間に果たして独自の発展を遂げることができたでしょうか。世界に誇る政治を築き上げるに至ったでしょうか。一方において世界で共有され人類共通の基盤をもつ科学技術は、わが国の発展の度合いを見ることができます。自然科学系のノーベル賞の受賞者(2023年までに)25人に象徴されるとおり、成果の発表や企業活動などにおいて、進歩は客観的に評価、可視化されているといえます。
それでは、必ずしも世界共通のプラットホームを持たず、多くの場合にもっぱら国内的な手続きで変化がもたらされる社会の仕組み、すなわち政治の仕組み(社会技術)の側面においてはどうでしょうか。先にも述べた通り、人類に共通して実現を図る国際的な基準にも晒されるることもなく、憲法も一度も改正されることなく時は過ぎた、というのが印象です。
それでは、どのように私たちは私たちの国家の政治・政治の信頼を、立て直し、根幹的な政治改革なすべきなのでしょうか。その本質に関わる焦点は、いかに「国民主権」の実質的な執行力を強化するか、その主権の存するところの権力を発揮する場の拡大をもたらすか、にあり、そのような主権の実効性の拡大を実現する政治制度の機構こそ、私たちに必要とされている制度なのです。
国民の見識や良心を、適切に国政に反映できるようにする、そのような仕組みの創設がこの先進む日本の道です。
この日本・政治のガバナンス広場において、そのガバナンスの機構について、順次提示していき、広場に集まる人とともに国民主権の力を拡大・強化してこの国・日本の政治と国との発展の道を切り開くことができれば、国政のガバナンスを輝かしく築くことができればと考えています。(参考資料:『中間的専門機関 : 生命科学技術の事例検討を踏まえた科学技術の社会的ガバナンス制度の提言』Policy Study NO.15)
(次回へつづく)
<休憩に取り上げた「牛久シャトー」>
日本初の本格的ワイン醸造場とされ、神谷伝兵衛(1856~1922年)によって1903年に設立。もともとは周辺にブドウ園のある醸造所でした。伝兵衛は横浜の外国人居留地でフランス人が経営するフレッレ商会という洋酒醸造所で1873(明治6)年17歳の時にワインと出会いました。傳兵衛は、ある日原因不明の激しい腹痛に襲われ衰弱の一途をたどり、これを知ったフレッレ商会の経営者が傳兵衛を見舞った際に持参した葡萄酒を飲ませて、飲んだ傳兵衛はたちまち気分が爽やかになり、病苦が和らいでいったと言います。その後も毎日少しずつ飲用すると次第に元気が出てやがて病気治癒。 傳兵衛はこの時、葡萄酒が持つ滋養効果を知ったとされていて、彼は日本人の誰もが飲めるような葡萄酒の国内醸造ができないものかと考えたと言われています。傳兵衛は諸名士とも交流があり政治家では勝海舟、山岡鉄舟、榎本武揚、曾禰荒助、板垣退助、土方久元、軍人では大山巌、児玉源太郎、西郷従道らと親交があり、その結果、多くの偉人たちが牛久シャトーを訪れたそうです。
牛久シャトーは現在は神谷伝兵衛記念館となっていてその歴史や残存するワインセラーの見学などができ、特に敷地内の桜はすばらしく、また、季節によらずレストランはとても美味しい食事を落ち着いた雰囲気の中で楽しめます。(牛久シャトーHP参照)茨城県牛久市
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